最近どうも体の調子が以前と違っていて、それは不調なのかどうかは分からないけれども、確かに何かが違うという漠然とした感覚だけがある。何が面白くて面白くないか、そういう自分の中の判断基準が曖昧になってるのが一番大きな違和感かも知れない。それは以前から何回も訪れたことで、その都度症状(という言葉の使い方が正しいかどうかは疑問だけども)は治まってたんだけども、今回はそれもいつもより重い気がする。自覚することによってそれが尚更自分の中に形として出来上がった分、重くなってるだけなのかも知れないけど。とにかく今は、自分の中にあるものさしが、何かの拍子に一旦砕けてドロドロになってる。そして混沌としてる。多分そういうことだと思う。そしてそれは、自由といえば自由か。

この国の罪人に対する寛大さは何だろう。人の命を奪うということがどうしてこれほどまで軽く見なされているのか。『人道』という言葉と照らし合わせてみるとこんなにも矛盾していることは無いと思う。衝動的な殺意を抑え込めない卑しい人間をたった数十年閉じ込めただけで、その人間の精神は変わるんだろうか。罪のない年端もいかない子供の命を奪った人間に、法は一体何を期待するんだろうか。

北方兼三の『水滸伝』が読みたいです。『水滸伝』は1巻は図書館で借りて読んだのですが、途中まで読んだところで返却してしまったので、以来その続きを読んでいません。で、この前紀伊国屋に行ったら完結編が平積みされていたので、そこからまた読書衝動、活字衝動。でも19巻もあるので自分の財布から手に入れるとなると、躊躇してしまいます。そもそも『水滸伝』自体どういった物語なのかは全くと言っていいほど分かってないのですが、北方さんの小説が好きなので問題はありません。時代小説と言えば、つい最近『黒龍の棺』を読みました。これも北方小説。新撰組、土方主役の小説。本屋で見つけた瞬間衝動買い。内容はなかなか練りこまれてて面白かったです。この辺の巧さは『三国志』の方でかなり見せ付けられてたので、それが理由でこの本も買ったんですけど。で、『三国志』ですけど、三国志小説ではこれが一番面白いんじゃないですかね。張飛がべらぼうにかっこいい。取り合えず三国志好きならこれ読めと。まぁ横山三国志も吉川三国志も読んだ事のない人間なんですけどね。まぁでも、読む価値はあるかと。

例えばある一枚の絵。その芸術にどれだけの価値があるかを決めるのは、その世界で感性を磨いてきた一流でしかありません。そして、生まれた価値によって日々そこに何も求めずに生活している一般人の見方も決まります。それはあまりにも分かりやすいのですが、一方でどうしようもない流れなんですよね。そこにレールが出来上がるのが良いか悪いか、果たして俺にはわかりません。が、その絵をまず初めに、絵に興味を抱いたことのない人間が見れば、その人間はどういう感情を抱くか。怒り?喜び?悲しみ?無関心?一流の目は素晴らしいですが、そういう人間の目も確かに大事、大切にしないといけないと思います。思いました。

いよいよ今週のモーニングで『蒼天航路』が完結を迎えようとしています。いよいよラストまで3回だとかいうキャッチを見た時はそれはもう大層仰天し、このままどうやって終わらせるんだとハラハラしましたが、何とか綺麗な形で終わりそう。さすがゴンタ。終わって欲しくないですけど。
他の漫画家がどうなのかは分からないんですけど、俺はこの漫画家は大好きです。多分、性格きっちりしてる。細かいところの描写も手を抜かないのがいいですね。俺は何度も同じ本を読む癖があるので、回数を重ねていくうちに細かいところまで見てしまい、その結果、矛盾点もいくつか目に入って嫌な気持ちになったりするんですが、これはあまりそういうところがなくて、それが気持ち良いですね。
とにもかくにも終わりということで、見たいような見たくないような、そんな気持ちが交錯しています。孫権も何だかんだでかっこいいのです。